日本の中の「難民への共感」を広げたい 【国連UNHCR協会 理事長】田中明彦 × 【国連UNHCR協会 報道ディレクター】長野智子
公開日 : 2019-10-17
2019年3月に国連UNHCR協会の理事長に就任した田中明彦に、同年6月に報道ディレクターに就任した長野智子が話を聞きました。今回は、田中の「国際政治学者」としての観点から見る「難民問題を取り巻く国際社会の現状」と、「日本の民間の力の大切さ」を中心にお伝えします。
田中明彦 (たなか あきひこ)
政策研究大学院大学学長。国連UNHCR協会理事長。JICA研究所特別招聘研究員。1981年マサチューセッツ工科大学Ph.D.(政治学)。1984年東京大学教養学部助教授、1990年東京大学東洋文化研究所助教授、1998年東京大学東洋文化研究所教授、2000年東京大学大学院情報学環教授、2002年東京大学東洋文化研究所所長、2009年東京大学理事・副学長、2011年同副学長、2012年−2015年国際協力機構(JICA)理事長、2015年東京大学東洋文化研究所教授、2017年4月より現職。専門分野は国際政治理論、開発協力、アジアの国際政治、日本外交。著書に『新しい「中世」』(日本経済新聞社、1996年、サントリー学芸賞受賞)、『ワード・ポリティクス』(筑摩書房、2000年、読売・吉野作造賞受賞)、『アジアのなかの日本』(NTT出版、2007年)など。2012年に紫綬褒章受章。
長野智子 (ながの ともこ)
キャスター。国連UNHCR協会報道ディレクター。米ニュージャージー州生まれ。1985年上智大学外国語学部英語学科卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。その後フリーに。99年ニューヨーク大学大学院修士課程を修了。2000年「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)のキャスターに抜擢され帰国。現在「サンデーステーション」(同)のメインキャスターを務める他、「ハフポスト日本版」の編集主幹、専修大学文学部ジャーナリズム学科の特任教授も務める。
日本で難民問題が「遠くの問題」になる理由とは
長野:田中さんは、現在は国連UNHCR協会の理事長というお立場でもありますが、本日は「国際政治学者」としての観点からご覧になった難民問題について、お話を伺いたいと思います。
まずは、海外と日本の人たちが捉える難民問題にはどうしても温度差があリ、関心度も違うと感じます。その一番の違いはなんでしょうか。
田中:第一に、日本は周辺に大量に難民が発生するような現実の紛争が起きていないという幸運な状況にあるということですね。もちろん難民の方で、いろいろな苦労をして日本まで来て、難民申請をする方はおられますが、地理的に紛争地域が近くにないということが、多くの日本人、特に最近の日本人にとってみると、難民についてあまり身近に感じにくい要因なのではないでしょうか。
長野:昔は日本でもベトナムからの難民の受け入れなど、ありましたね。
田中:そう、インドシナ難民の受け入れもありましたし、それからもっと昔までさかのぼると、第二次世界大戦中にナチスの被害を受けたユダヤ人が日本に来たり、その前はロシア革命があってロシア人が日本に来たり、という避難民は多かったですね。
それから普通難民とは言わないけれども、第二次世界大戦で日本が負けた後、多くの日本人が中国や韓国や他の国からまさに難民のように追われるようにして日本に戻ってきた。そういう頃と比べると「自分が理由でない、自分が起こしたわけでもない、たいへん理不尽な理由で住むところを変えなければいけない」という状況を、日本人自身はここ何十年か、あまり直接体験しないで済んできたと言えるでしょう。
震災や原発事故の体験が心を寄せあうきっかけに
長野:日本では多くの方が、難民問題はどこか遠くのほうで起きていることで、迫害されていて、母国から追われてしまって、かわいそうな人たちっていうイメージを持っていらっしゃると思います。
田中:それもやはり、周囲にそうやって理不尽な理由で国を離れて、庇護を求めている人が多いかどうかでだいぶ見方は変わってくるのではないでしょうか。難民というのは、政治的理由などによって移動をせざるをえない人のことだとUNHCRでは言っているけれど、広い意味では自然災害などで住むところを奪われた人も難民に近い状況と言えるのではないでしょうか。
震災や原発事故などで、自分の責任と関係なく、仮設住宅に入らなければいけなかったり、遠くの親戚のところに行かなければいけなかったりする人は日本国内にもたくさんいらっしゃる。そういうところから発想すれば、難民問題が他人事ではないということはよくわかるのではないでしょうか。基本的に、本人の責任と関係ない理不尽な理由によって住むところを変えなければならなかったというところでいえば、まったく同じです。
外国人との共生の経験が受け入れ方の違いを生む
長野:米国など海外では難民問題、民間の人たちの取り組み方はだいぶ違いますか?
田中:たとえば米国ではもともと社会として、難民も含めて移民の人たちが多く来て国をつくってきた歴史があります。いろいろな事情があって米国に来て、新たな生活を築いて、そして、米国人として一緒にやっていきましょうという歴史的背景をもつ米国の人たちは、受け入れ方が慣れている。
長野:私もニューヨークに住んでいましたけれど、子どものころからクラスメイトが普通に移民だったり、海外から来ていたりいう環境に慣れていますね。一方、日本ではそういった環境はまだ少ないですね。
田中:そういうことはありますね。それでも、日本社会もこの20年くらいの間に、相当外国人との共生という意味では、慣れてきている面はあると思います。
「理不尽なこと」に共に立ち向かう気持ちの広がり
長野:その変わってきた日本で、田中さんは国連UNHCR協会の理事長に4月に就任されましたが、難民支援と民間との関わりを広げるという協会の役割をどういう風にとらえていらっしゃいますか。
田中:国連UNHCR協会の理事長となって、ここ数年のご寄付の伸びを知りました。難民支援に寄付してみようと思う人たちがこれだけ増えているというのは、日本社会では身近ではないとは言いつつも、難民の状況への理解がだいぶ進んできているのだなということが感じられる。それほど身近ではないにしても、理不尽なことに対して一緒に頑張っていこうという気持ちを表すことができる人たちが日本にも非常に増えている気がしますね。
長野:日本でどんどん難民支援の裾野を広げていきたいし、自分もその活動に貢献できるように考えていきたいですね。
深刻化する難民問題と国際社会の取り組み
田中:世界でいうと難民問題はずっと昔からあるし、UNHCRは1950年に設立して、難民条約の採択は1951年。でも2014~2015年以降の国際社会における難民問題の大きさというのは特異です。事態が深刻になっている。冷戦が終わって、2010年くらいまでは国際紛争が比較的縮小する傾向にあった。それが一転して、大惨事になったのがシリア内戦。この内戦で国を離れなければならない人たちが周辺国へ行き、その人たちがより良い環境を求めてヨーロッパに向かった。
こうした不幸な事情が重なり、それまで比較的寛容な姿勢をとっていたヨーロッパの市民の間でも意見が分かれてしまった。問題がより深刻になる中で、国際社会として難民問題の重要性を再確認しなければという方向に動いたのが、2018年末に国連が採択した「難民に関するグローバル・コンパクト」(注)という考え方です。
(注)「難民に関するグローバル・コンパクト」(Global Compact on Refugees)は、世界が一体となって難民保護を促進していくための国際的な取り決めです。難民の数が急増し、世界各地で発生している危機への対応が急がれるなか、難民を取り巻く状況を改善し、公正かつ公平な社会の実現を目指して、2018年12月の国連総会で採択されました。難民問題は、もはや、特定の地域だけが取り組むものではありません。社会の一人ひとりが責任を分担し、実行に移していくことが求められ、「難民に関するグローバル・コンパクト」がその指針となることが期待されています。詳細はhttps://www.unhcr.org/jp/global-compact-on-refugees
田中:ちょっと突き放した言い方をすると、国際社会の中で行われている善意の活動の間にもある種の文化の違い、当然ですが優先順位の違いがあります。開発をやっている人々や組織、人道支援をやっている人々や組織、気候変動をやっている人々や組織が、国際社会では主要なグループですが、この3つのグループは実はあまり仲が良いわけではない(笑)。
長野:国際的な取り組みの中の「グループ」っていうことですね。
田中:開発に従事する人々や組織はじっくり長期に打ち込むという文化が強いのに対して、人道支援の活動は、今目の前ある問題をなんとかしなきゃだめだという気持ちが強くなる。ただ、気候変動に取り組んでいる人々や組織からみると、開発や人道支援の必要はわかるけれども、増え続けている二酸化炭素どうするんだ?という危機意識が強い。そのなかで、開発と気候変動関心を持つ人々や組織が中心になって作ったのが「持続可能な開発目標(SDGs)(注)」です。
(注)持続可能な開発目標(SDGs):2015年9月、国連全加盟国の全会一致により、「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。その中で、人間、地球、繁栄のための行動計画として掲げた目標が、「持続可能な開発目標(SDGs)」の17の目標と169のターゲットです。UNHCRは、SDGsが掲げる“誰一人取り残さない”世界の実現のために、難民、国内避難民、無国籍の人々が取り残されることのない開発計画を重視しています。詳細はこちらからhttps://www.unhcr.org/jp/23071-sdgs-190710.html
長野:そう説明していただけると背景がよく理解できますね。
田中:開発と気候変動グループが一緒になってSDGsを作ったけれど、それに人道支援の国際組織やNGO
はちょっと乗り遅れた感があった。本来、SDG16(平和と公正をすべての人に)には、難民などの具体的なターゲットが盛り込まれた方が良かったかもしれません。
長野:ですが「開発と気候変動と人道が一緒に」というのは、例えば、人道支援をしながら、住んでいる土地を開発して、支援対象者がそこに持続可能的に住めることを目指すといった意味では、理念に沿っていますね。
田中:その通り。本来、この3つは三位一体でなくてはいけない。「だれ一人取り残さない」というのがSDGsの根本理念である以上、開発や持続可能性に加えて、難民などを含めた人道支援の取組も重視していかなければいけないでしょう。
長野:そうですよね。
田中:それを挽回するためにとUNHCRが頑張ったのが、先ほどお話しした「難民に関するグローバル・コンパクト」なんですよ。
長野:そういうことなんですね。
田中:実は気候変動を重視する立場の人からしても、SDGsにはやや不満なところがあります。SDGsそのものには、気候変動のとりわけ「緩和策」(温室効果ガスの現象)はそれほど詳細に記載されていません。したがって、気候変動の分野からみても、 SDGsそれ自体というよりも、SDGsと温室効果ガス削減を謳ったパリ協定とは一体不可分な関係だとみなす姿勢が必要になります。それと同じようにSDGsと「難民に関するグローバル・コンパクト」は一体不可とみるべきだと思います。
「地球上に住んでいる同じ人」という視点 民間の力が試されるとき
長野:パリ協定といえば、ある大国が協定から離脱したことが大きな問題になっていますが。
田中:大統領含めて気候変動というのは本当に人間由来のものであるかはわからないと言っています。今の政権はパリ協定から離脱する、それから国連の分担金についてもそれほど積極的ではないし、国際機関の役割についても消極的なので、これは国際社会にとってはたいへんに困ったことです。
長野:こういう状況だからこそ、民間の力がすごく大切になりますね。
田中:地球規模の課題については、もちろん各国政府が果たす役割は非常に大きいですけれども、政府というのは時々政権が変わるわけです。そういう中で、民間の活動というのが安定的に行われているのは大きい。
地球上のほとんどの人々はどこかの国の国民だから、自国を愛していると思います。ただ、自国民だけが人々ではありません。やはり地球上に住んでいる人々は、国籍をもたない人も含めてみんな同じ人なのだから、そういう人たちに連帯感を示すことは民間の力のあり方ですね。
長野:今のお話を伺うと、今とくに、全世界的に内向きの傾向があって、だからこそ民間の力が試されているのでしょうか。
田中:私たちには「自分の政府を動かして何かをやらせる」というやり方と、「政府がやってくれないなら自分たちでやりますよ」というやり方と両方あるわけですね。世の中にはやらなければいけないことはいっぱいあるわけで、自分たちがそれぞれ大事だと思う活動を一所懸命やるということが、地球社会全体の役に立つのではないかなと思います。
民主主義のもとでも、自分が思っている事の反対のことをやる政府が生まれてしまうということないわけではありません。けれど、そういう時に、自分が大事だと思っている活動を諦めるのではなくて、やれることを民間でやっていくのが大切だと思いますね。
いちばん怖いのは「無関心」であること
長野:その民間の活動の裾野を広げるために、私も報道ディレクターとして、難民問題についての理解を深めながら貢献していきたいと思っています。理事長個人の想いとして、日本の一般の人たちがこういうことができるのではないかなど、何かアドバイスはありますか。
田中:いろいろなことができると思います。国連UNHCR協会にとっては、ご寄付いただけるといちばんありがたい。ただ、ご寄付というのは、この地球的ないろいろな問題を解決するひとつの有力なやり方ではあるが、唯一のやり方ではないですよね。大切な問題について関心を持ってもらうということ自体が、そもそも重要な貢献だと思います。
実際に避難している人たちは、物質的にも非常に困っているわけだから、物質的な支援は必要です。ですが、支援を通じて、自分たちが決して取り残されていない、世界中の人たちがこの問題について関心を持っている、と伝わることが大切だと思います。
長野:それは実際に、パレスチナ難民キャンプとかアフガニスタンの難民キャンプに行って取材したときも皆さんおっしゃっていました。
「いちばん怖いのは無関心だ、自分たちが忘れ去られてしまって、誰も興味を示さなくなってしまう、目を向けなくなってしまうことが恐ろしい」と。そのためにメディアの力に期待すると言われたのですが、そこって、大事ですね。
田中:非常に大事だと思います。たとえば学生の皆さんなら、国際問題、難民問題について関心を持ってもらうこと。いま言われたような、「自分たちが放っておかれてしまうのではないかと思うのがいちばん悲しい」というのは、国外にいる難民の方も当然そうですけど、東日本とか、熊本とか、自然災害を受けた方々に話を聞いても、みなさんそうおっしゃいますね。
長野:そうですね。
田中:だから、日本国内のことを考えてみたら、共感というのは広げていけるのではないかと思います。
ハートと頭、両方で共感を
長野:ここでちょっとご相談ですが、私が活動するうえで皆さんにもっともっと関心を持っていただくために、ぜひアドバイスを。
田中: 避難をしている人たちへの支援は「ハートの問題」でもあるけれど、「頭の問題」でもあります。国連UNHCR協会の報道ディレクターには「ハートの問題」と「頭の問題」の両方に取り組んでもらいたい。「頭の問題」は、普段の仕事(=報道番組)をなさっているときに、世界情勢を分かりやすく伝えていただく。一方、たとえば映画祭っていうのは、ハートと頭と両方に届くんですよね。
長野:そうですね。
田中:共感していただく方法も人のタイプによって違っていて「ハートで動く人」もおられるし「頭で動く人」もおられる。その両方に伝わるような活動を進めていただけたらと思います。
誰もが「難民」になりうる
長野: 今年8月にはTICAD7(第7回アフリカ開発会議)があったり、2020年には東京オリンピック、パラリンピックがあったりと、日本に世界の視線が注がれる機会が増えています。これから日本でも難民問題に包括的に取り組んでいく必要があると思いますが、そのあたり何かコメントを。
田中:いわゆる「難民」と呼ばれる人たちに対する理解は日本社会で確実に進んできていると思います。しかし難民が特殊なカテゴリーであるかのような見方が、まだ結構あるように思います。もちろん特殊な面はあります。普通の人は自分の住みたいところに住めるわけですけど、避難しなければいけない人は自分の意に反して、やむを得ず避難せざるを得なくなるのです。その面で言えば特殊です。
けれども、そういう状況になった人が、特殊な属性を持っているわけではない。誰だって、状況によってはなるんです、難民に。先ほど、自然災害を申し上げましたけれども、私たちだって、首都直下型地震が来て、自分の家が壊れてしまったら、同じような状況にならざるを得ない。「難民」と呼ばれる人の中にも私たち同様、いろいろな人がいることをぜひご理解いただきたいと思います。
長野:特別な誰かというのではなく、私たちと同じ人たちが、ということですね。
田中:私は以前から、なんで「難民」という訳語にしたのかな?と。戦前は「避難民」と呼ばれることが多かったと思います。
長野:「避難民」だとまただいぶ違いますね。
田中:「避難民」のほうが実態を示しているように思います。「難民」というのは「避難した人」の略だとは思うのですが、そのまま見ると「難しい人」みたいに感じてしまいがちですね。
長野:そうですね、語感でちょっと遠くなりますね。
田中:条約名にもなっているし、いろいろな組織の公式名称にもなっているので、変えるのは難しいのですが、長野さんには、「難民」は「難しい民」ではないですよと伝えてほしいです。
長野:「属性」ではなくて、「難しい民」でもなくて、私たちと同じ人が避難しているということですね。
田中:ですので私は「いわゆる難民」と時々意識して話すようにしています。
長野:私も心がけようと思います。
人権を守る意識の大切さ
田中:これまで、人が難民となる状況には、自然災害も含めて共通点があると申し上げてきましたが、一方で人々の心の自由というところから考えると、やはり「政治的迫害」は特に重視していかなくてはいけないと思っています。「政治的な理由で逃れるのは胡散臭い」と思ったりする人たちが世の中にいないわけではないからです。
地球上にはまだまだ人権が守られていない地域がたくさんあるので、基本的人権が守られていないところから、自分の人権を守るために移動するというのは切実な話です。そこをぼやかしてはいけない。人権の、特に国連の条約で言うと「自由権規約」の分野ですね。発言の自由とか、不当に逮捕されるとか、そういう状況から逃れるというのは重要な話です。世界の中で日本は、自由という意味での人権は比較的守られている国なので、政治的自由が得られずに避難している人に対して、共感を持っていただくのは大切だと思います。
長野:本当に勉強になります。人権の大切さを常に心に置きながら活動してまいります。お話を伺って、これから挑戦したいことがたくさん浮かんできました。本日はありがとうございました。
対談収録:2019年7月26日
於:国連UNHCR協会