「すべての難民の希望の象徴として走りつづけたい」特別対談【国連難民サポーター】瀬古利彦氏 ×【難民アスリート】ヨナス・キンディ選手 司会【国連UNHCR協会 報道ディレクター】長野智子
公開日 : 2020-03-25
東京マラソン2020を目前に控えたこの日、2020年1月に国連難民サポーターに就任された瀬古利彦氏と、リオ2016オリンピック・パラリンピックで史上初めて結成された難民選手団の一員であり、東京マラソン2020に初出場したヨナス・キンディ選手(エチオピア出身)との対談が初めて実現しました。司会は国連UNHCR協会 報道ディレクターの長野智子がつとめました。
日本マラソン界のレジェンドである瀬古氏と難民アスリートのヨナス選手に、東京マラソン2020や難民への想いなどを熱く語っていただきました。
瀬古利彦 (せこ としひこ)
元陸上競技・マラソン選手、現陸上競技指導者。三重県桑名市生まれ。名実ともに日本長距離界、マラソンブームを牽引してきた第一人者。高校時代から本格的に陸上を始め、インターハイでは800m・1500mで二年連続二冠を達成。早稲田大学へ進み、故中村清監督の下、ランナーとしての才能を開花。箱根駅伝では4年連続で「花の2区」を走り、3、4年次では区間新(当時)を獲得するなど、スーパーエースとして活躍。トラック競技においても日本記録を総ナメにし、25,000mと30,000mでは世界記録を樹立(当時)。トラック・駅伝のみならず大学時代からマラソンで活躍し、現役時代は国内外のマラソンで戦績15戦10勝。モスクワ、ロスアンゼルス五輪マラソン日本代表。現役引退後は指導者の道に進み、オリンピック選手を3名輩出するなど後進の育成に注力し、現在は「横浜DeNAランニングクラブ エグゼクティブアドバイザー」として活動中。
Yonas Kinde (ヨナス・キンディ)
エチオピア出身のマラソン選手。ルクセンブルクに避難した5年後、リオ2016オリンピック・パラリンピックの難民選手団の一員に選出。故郷から避難を余儀なくされた過去を背負いながらも、世界の一流選手とオリンピックという舞台で競うという刺激的な経験はアスリートとしての成長にもつながった。避難先のルクセンブルクでは、フランス語の授業を受けながら生計を立てるためにスポーツマッサージ師として働き、日々記録の更新を目指して努力を続ける。エチオピアで暮らしていた10代からマラソンを始め、故郷を離れた後もトレーニングを続け、ルクセンブルク、フランス、ドイツの大会で入賞を果たす。
長野智子 (ながの ともこ)
キャスター。米ニュージャージー州生まれ。1985年上智大学外国語学部英語学科卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。その後フリーに。99年ニューヨーク大学大学院修士課程を修了。2000年「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)のキャスターに抜擢され帰国。現在「サンデーステーション」(同)のメインキャスターを務める他、「ハフポスト日本版」の編集主幹、専修大学文学部ジャーナリズム学科の特任教授も務める。2019年6月より国連UNHCR協会報道ディレクター。
難民アスリートが東京マラソン2020を走るということ
長野智子(以下「長野」):まずご紹介するのは、日本マラソン界の顔、そして今年の1月から国連UNHCR協会の国連難民サポーターに就任されました瀬古利彦さんとエチオピア出身で今はルクセンブルグでIOC難民選手団の候補として練習に励んでいるヨナス・キンディ選手をお迎えしました。国連UNHCR協会 報道ディレクターの長野智子が進行させていただきます。いろいろお話を伺っていきますので、よろしくお願いいたします。
長野:瀬古さんが難民のために活動されていたのは存じていましたが、国連難民サポーターに就任されたのはどういういきさつだったのですか?
瀬古利彦(以下「瀬古」):以前、タンザニアの難民支援をご一緒した国連UNHCR協会 理事の宮嶋泰子さんとのご縁で、早稲田大学の同級生である国連UNHCR協会 事務局長の星野守さんにお声がけいただきました。ヨナス選手の来日のことも聞いて、よかったな、と思っていました。

長野:瀬古さんの活動についても、後ほどぜひお伺いしたいのですが、まずは、やはり東京マラソン2020が間もなくということで、今回、IOC難民選手団の候補として頑張っているヨナス選手が東京マラソンで走るということになりましたので、それについて瀬古さんは率直にどういう風に感じておられますか?
瀬古:やはり世界はひとつですからね。選手として走りたい人がいれば、私たちはサポートしてあげたいです。競技者としてのレベルは関係なく、マラソンを走りたいという人を私はサポートしたいです。
ヨナス・キンディ選手(以下「ヨナス」):ありがとうございます。
長野:東京マラソンを難民選手が走るということは、どんな意味・影響があると思われますか?
瀬古:われわれの関心はどうしてもエリート(ランナー)に行きがちです。当然ヨナス選手は世界を目指していますが、自分の国を追われて走るわけじゃないですか。われわれには分からない世界で。私たちは日本人として走るのは当たり前だけれど、彼の場合、エチオピア人なのにチオピア代表として走ることができない。そのことに、純粋に「えっ?」って、私は思うわけです。日本人は日本人であることが当たり前だけど、当たり前のことが当たり前でないことがあるということを、日本の若い選手たちにも分かってもらいたいですね。それに、意外と日本人は難民のことを知らないですね。日本にも(難民は)いるのですが、知られていない。ヨナス選手が走って、彼らのような難民選手がいることをアピールしてほしいです。
ヨナス:ありがとうございます。瀬古さんという素晴らしいランナーにお目にかかれることができ、本当に光栄ですし幸せです。瀬古さんが長年にわたって難民に寄り添い、難民を支えてくださったこともよく存じていて、日本でもっとも偉大なランナーである瀬古さんにお目にかかることは長年の夢でした。同時に東京で走ることも自分の長年の夢でした。UNHCR、国連UNHCR協会、その他のみなさまのサポートによって、日本に来ることができました。日本のみなさんに温かく迎えていただき、3月1日に(東京マラソン2020を)走れることは何よりもありがたく光栄なことです。瀬古さんという素晴らしいアスリートにもお目にかかれて本当にうれしく思っています。
瀬古:ありがとうございます。
ヨナス:アリガトウゴザイマス!
長年の夢だった「アベべ選手が走った東京を走る」

来日後、早稲田大学所沢キャンパス内でトレーニングするヨナス・キンディ選手
長野:ヨナス選手は東京で走ることが夢であるとおっしゃっていますが、そこに特別な理由はあったのですか?
ヨナス:自分にとっての憧れであるアベベ・ビキラ選手は、1960年にはローマ、1964年にここ東京で2連覇した母国の英雄です。彼が走った同じ街を走るということが自分にとって長年の夢でした。
長野:ついに、その東京マラソン2020で走ることが決まったと聞いた時はどんな思いでしたか?
ヨナス:知った時はとにかく幸せな気持ちでした。というのも、私は自分ひとりで走るとは思っていません。世界中の自分を支援してくださっている方々、とくに難民の子どもたちのことを思って常に走りたいと思っているので、その人たちのためにも大変うれしいことだと思っています。
長野:もちろんヨナス選手は、東京オリンピックを目指して練習していると思いますが、ルクセンブルクでは東京マラソンに向けて何か特別にトレーニングをしてきたことはあるのですか?
ヨナス:ルクセンブルクでは、IOCスカラシップホルダー※として、もちろん東京2020大会のために練習を積んでいますし、この東京マラソン2020のためにも練習を重ねてきました。具体的には1日2回練習をしていて1週間に150キロ程度走っています。※IOCの支援を通じてトレーニングや勉強を続けている者
瀬古:そこそこ走っていますね。1日20キロなら。
長野:瀬古さんの現役時代の練習内容と比べてどうですか?

瀬古:私はもっと走っていましたけど(笑)、なかなか時間がないかもしれないし、できればもうちょっと・・・。1日25~30キロくらいは走ったほうがいいな。(1日20キロは)ちょっと少ない。あと5キロくらい増やして。2時間17分の選手だとそれくらいかな。レベル(個人差)によって違うかな?
長野:2時間17分の選手だとそれくらい?
瀬古:もうちょっとやれば、もうちょっと早く走れる。
長野:本当ですか?(笑)
瀬古:ただ、年齢のこともあるからね。
長野:瀬古さんのアドバイスはどう思いますか?
ヨナス:瀬古さんのようなスター選手からのアドバイスはいつも参考にしています。同時に、自分を信じてもいます。
長野:自分を信じることは大事ですよね。
瀬古:うん、それは大事。
「Ekiden for Peace」という活動を通して伝えたいこと

2010年、瀬古さんがタンザニアの難民キャンプで開催した「Ekiden for Peace」の様子
長野:瀬古さんご自身が難民支援に力をいれていると伺っていますが。
瀬古:難民キャンプのあるタンザニアに2回行きました。
長野:「Ekiden for Peace」という活動ですね。現地ではスポーツは難民支援にとって大切なことだと感じられますか?
瀬古:駅伝は人と人を繋いでいくじゃないですか。それがすごくいいなと思って。
相手を思いやることが駅伝なので。駅伝って、みんなで走るっていうところがいいですね。
走ることで、心を繋いでいくのが駅伝だと。
長野:日本発の駅伝をタンザニアに紹介されて、現地の難民の方たちの反応はいかがでしたか?
瀬古:ものすごくありました。娯楽が少ないから、駅伝がお祭りになってしまいました。すごいんですよ。観客が1万人くらい、ワーっと集まって、みんな楽しそうでしたね。特に子どもたちがすごかったですよ。
長野:すばらしい!
ヨナス:私も瀬古さんの活動はすばらしいと思います。というのも、タンザニアに避難しているコンゴ、ウガンダなどからの難民の若者たちや子どもたちは、ポテンシャルはあるけれど、それを発揮する場がないからです。瀬古さんのような方にこのような企画を開催していただけるというのはすばらしいことだと思います。今後ぜひご一緒できればと思います。
瀬古:こういう企画がきっかけとなって、10年後にもその子たちが走っていたらオリンピックに1人くらいは出ているんじゃないかな?そういえば今も群馬県の前橋市で、南スーダンの選手が合宿をしていますよね。
長野:瀬古さんは難民の子どもたちを駅伝で支援されています。ヨナス選手は子どもの頃から同じエチオピア出身のアベベ選手に憧れて走っていたとのことですが、スポーツが子どもたちや難民の支援にどのような役割を果たしていると思いますか?
ヨナス:スポーツはなによりも希望を与えてくれます。人々を結びつける、統合する力があります。瀬古さんのような金メダリストを生みだす力があり、子どもたちがそういう人たちに憧れる力を持つことによって将来に向かって進むことができます。
これからもすべての難民の希望の象徴として

長野:今や、難民キャンプにいる子どもたちにとって、ヨナス選手自身が憧れの存在になっていると思いますが、それについてはどう思いますか?
ヨナス:私がリオ2016オリンピックで所属していた難民選手団はまさに希望の象徴だったと思います。子どもたちに、トレーニングを頑張ること、スポーツは身体だけでなく心にもすばらしい影響を与えるものなので、トレーニングを続けてくださいと伝えたいです。
瀬古:IOCはいいことやりますね!素晴らしいことです。これは続けていただきたい。でも本当はそれ(難民選手団)がないのが一番ですけどね。
ヨナス:本当にありがとうございます。
長野:瀬古さん、ヨナス選手、本日はありがとうございました。
(対談終了後の会話から)
長野:ヨナス選手から瀬古さんに質問したいことがあったらぜひ。
ヨナス:ボストンマラソンに優勝された時、フィニッシュラインをカットされたときのお気持ちはどうでしたか? アスリートとしてぜひ聞きたいです。
瀬古:うれしいけど、ゴールしたら次のこと(レース)があるから、また勝たなきゃいけないと思うと。優勝のゴールは一瞬だから。次のことを考えるとそんなに喜んでいられないのです。その時はうれしいけどね。
長野:ヨナス選手は、やはりそういう感じ(瀬古さんのお気持ち)わかります?
ヨナス:はい。わかります。
瀬古:いつも勝たなきゃいけないから。気が気じゃない。ところで、あさって(3月1日開催 東京マラソン2020)の目標タイムは?
ヨナス:2時間16分です。
瀬古:いっぱい強い選手がいるから、彼らについて行ったらいいよ。当日は曇りで気温も7、8度でベストコンディション。これで記録がでなかったら・・・(笑)。
(一同笑)
長野:東京だからこそのアドバイス(コースとか)はありますか?
瀬古:本当は応援がすごいと言いたかったけど(今大会は縮小になってしまって)・・・。浅草とか銀座とか、例年のレースを見るとびっくりすると思う。今回はみなさんがテレビでの観戦になりますので、視聴率もすごいことになると思う。
星野:瀬古さんもテレビの実況、担当されるんですよね?
瀬古:ヨナス選手のことも話しますから。
ヨナス:アリガトウ!

写真右から瀬古利彦氏、ヨナス・キンディ選手、長野智子報道ディレクター、国連UNHCR協会 事務局長 星野守
対談日:2020年2月28日(金)
於:京王プラザホテル
※国連UNHCR協会は、東京マラソン2020チャリティ事業の寄付先団体です。
東京マラソン2020チャリティ公式ウェブサイト
https://www.marathon.tokyo/charity/