UNHCR設立70周年記念企画 難民支援の現場に眼鏡を届けて38年~企業による難民支援のありかたとは  日本人初のナンセン賞受賞者 富士メガネ金井昭雄会長に聞く~【後編】

1984年から38年にわたり、難民支援の現場で視力検査を実施し、難民一人ひとりに合った眼鏡を届けるという活動を続けている日本企業があることをご存じでしょうか。その功績により、難民支援のノーベル賞とも呼ばれる「ナンセン難民賞※」を日本で初めて、そして企業人としてもはじめて受賞した、富士メガネ会長の金井昭雄さん。UNHCR設立70周年と長年にわたるパートナーシップを記念して、国連UNHCR協会 報道ディレクターの長野智子による特別インタビューの前編に続き、今回は後編をお伝えします。

公開日 : 2021-06-21

■「難民的体験」をした両親の影響
長野:金井さんは幼少の頃、終戦時に樺太から引き揚げの経験をされたと伺いました。ご両親が樺太で眼鏡店を経営されていたそうで。


金井:はい。父は米国の専門知識を身につけて仕事に取り入れなければと、早くから考えていました。当時は学校などなく独学で、いわゆるオプトメトリストの基礎を機会あるごとに勉強していたようです。


昭和20年8月の終戦時、樺太の豊原にはソ連兵が近くにいて、襲撃されるという情報が入っていました。私の母は貨物船の乗船券を手に入れて、私をおぶり兄の手を引いて、かろうじて北海道に逃げました。今でいう難民のように故郷を捨てて、とにかく逃げる、そんな状況でした。住み慣れた土地を離れるわけですから、その時の緊張感は計り知れず、大変だったと思います。


長野:その時のことを覚えていますか。

金井:私はまだ3歳にならない時で、全く覚えていません。ただ、北海道に来て1、2年は本当に貧乏で、父はすぐに事業を再開したものの、軌道に乗せるだけの資金もなく、当時はみんなそうだったと思いますが、食料の調達も難しくて、相当苦労したと思います。そんな難民のような経験をした両親なので、私がタイの難民キャンプへ向かう時にもがんばってこいと背中を押してくれました。活動を続けてこられたのも、両親の激励があってこそです。



■UNHCRへの想い
長野:改めて視力支援活動の話に戻りますが、組織を率いるお立場として、UNHCRの組織や現場のプロジェクトをずっとご覧になってきて、もし何かもっとこうしたらいいのではないかというアドバイスがあればいただきたいのですが。



金井:現地では、本当に安心して作業できる完璧な環境を毎回提供していただいています。UNHCR事務所とは、毎年プロジェクトを始める半年ほど前から連絡を取り合ってスケジュールを組んでいます。訪問地の選定、訪問国政府の協力を取り付けるなど、色々準備をしていただき、更に事務所スタッフの方に現場のマネジメントもしていただいています。本当にUNHCR事務所のご協力がなければできない活動です。特に私の方から申し上げることはございません。いつも感謝しております。


長野:ありがとうございます。金井さんは歴代のUNHCRのトップともお話をされてきたとのことですが、何か印象に残るエピソードなどありますか。


金井:私は長いこと支援活動をやってきましたので、歴代のUNHCRのトップの方とお会いする接点も度々ありました。緒方貞子さん(第8代難民高等弁務官)の場合は、日本に帰国されてからの方が多かったのですが、それ以前にルード・ルベルスさん(第9代)や今の国連事務総長であるアントニオ・グテーレスさん(第10代)、それから、フィリッポ・グランディさん(現高等弁務官)などもそうですね。グテーレスさんと接する機会が一番多かったと思います。

長野:そうなのですね。


金井:グテーレスさんは飾らない人で難民に対する想いが非常に熱い方です。いつも会うたびに難民が増えたことや、活動そのものにお金が足りないことなど話してくれました。国連事務総長になられてからも長崎で行われた原爆犠牲者の慰霊祭に出席される時に、都内のホテルでお会いすることになったのですが、すでに部屋で待ち構えてくれていて、30分程度お話しすることができました。


その時、開口一番に彼は「今回の訪問で金井さんに会わなかったら、この旅は終わらないよ」と言ってくれて、私は、そこまで言ってくれたことが本当にうれしかったです。そういう意味でグテーレスさんとの関係は深いですね。最近はフィリッポ・グランディさんにも同じように大変お気遣いをいただいておりまして、日本に来られるたびにお会いしています。



■今、民間企業ができること
長野:現在、UNHCRの活動資金のうち、民間からの支援を占める割合は1割程度です。今も残念ながら難民が増えている状況の中で、民間にできることはなんでしょうか?


金井:はい。難民の数が急激に増えていますが、いまや世界的な課題となりUNHCRだけにまかせる時代ではなくなったと思います。国連UNHCR協会は去年、約58億円の寄付金を集めていますが、おっしゃるように企業からは1割程度です。日本には優良な企業がたくさんありますから、まずはUNHCRの最も重要な財政面で、企業寄付を集めていければいいのではないかと考えています。


日本だけが何もしないで平和を享受する、もはやそんな時代ではないです。海外の場合、多くの企業は自社所有の財団から大口寄付をしています。日本も財団を持つ企業はたくさんあると思いますが、財団がなくても、ぜひ難民支援に参加していただきたいです。SDGsが盛んに言われていますが、まずは企業がもっと財政支援へ積極的に参加していただくために、企業トップの方は難民支援にもっともっと関心を寄せて、継続して働きかけをするべきでは、と考えています。



■若い世代へのメッセージ

長野:金井さんのご子息もオプトメトリストして視力支援活動に参加されているそうですが、若い経営者や若い世代の人たちへ難民支援に対するモチベーションの持ち方や考え方などアドバイスはありますか。


金井:そうですね。私には息子が2人いますが、2人ともオプトメトリストで、私と同じ専門分野の道を歩んでいます。私から要求したわけではなく自発的に2人はそちらへ進みました。うれしかったのは、常々、3人でチームを組んで支援活動に行きたいと思っていたところ、2016年と2017年の2回にわたり一緒に現地へ行ったことです。
長野:それは素晴らしいですね。


金井:難民支援のために現地へ行くという点では、日本の社会は少々出遅れている気がします。私が最初に行った1983年から84年頃ですが、タイの難民キャンプには欧米の国際的なNGO組織から派遣された若いボランティアや専門家が非常に生き生きと活動していました。やはり現地に行き、直接接点を持ってサービスをすることから得られる感動とか経験は貴重です。


現在コロナ禍で渡航もなかなか難しい状況ではありますが、晴れて終息したら、ぜひ若い人たちには、現地へ行って直接支援する体験をしてもらいたいと思っています。やはり行ってみないとわからないことって、たくさんありますよね。こんな世界があるんだということを知り、平和のありがたさや大切さを学べると思います。そのためには専門的なサービスを提供できる能力の修得はもちろん、コミュニケーションは英語がベースになりますから、英語をきちっと勉強したほうがいいと思います。


長野:まだまだお聞きしたいことは尽きませんが、今後とも様々な機会にご一緒させていただくことを楽しみにしています。本日はありがとうございました。

(あとがき)

今回の対談は安全対策のため、北海道と東京をリモートでつないで行いました。画像越しながら長時間にわたる熱気あふれる対談の後、長野の感想を聞きました。


「金井さんがはじめてタイのインドシナ難民の視力支援に行かれた時のお話を伺って、行くことに意義がある、とにかく行動に移すというそのパワー、決断力、行動力には、驚きつつも深く感銘を受けました。そして、不便な環境の中でUNHCRがバックアップすることになり、支援がしやすくなったというお話も、とてもうれしく思いました。



自分の専門性をきわめて、プライドをもち、世界の人々、とりわけ困難に直面している難民の方たちに心から喜んでもえる、そして心からの笑顔を与えることができる活動は本当にすばらしいですね。経営者の方や若い人たちをはじめ、私たち一人ひとりが、自分たちのできる範囲の中で、多くの難民の方に笑顔を届けて喜んでもらえる、そんな支援ができたらと思っています」



富士メガネの取り組みは「日本でいちばん大切にしたい会社2」(坂本光司著、あさ出版、2010年)等でも紹介されています。



対談収録:2021年4月21日

於:株式会社 富士メガネ本社/国連UNHCR協会(リモート収録)

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