特別インタビュー ジャーナリスト 池上 彰さん
「難民がいるんですよ、じゃないんです。1人ひとりのストーリーが必要なんです」
公開日 : 2022-01-12
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年生まれ。ジャーナリスト。名城大学教授、東京工業大学特命教授など9つの大学で教える。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。報道記者や番組キャスターなどを務め、2005年に独立。『伝える力』『おとなの教養』『新・戦争論』(共著)ほか著作多数。2013年、伊丹十三賞受賞。
ジャーナリストとして。ニュースの伝え手として。あるいはUNHCRの難民援助活動を支えるひとりの支援者として。様々なメディアを通して情報を発信し続ける池上彰さんに難民問題やUNHCRの難民援助活動などについてお話をうかがいました。
「週刊こどもニュース」がきっかけでした
―― 難民問題に関心を持ったきっかけを教えていただけますか?
NHKで『週刊こどもニュース』という番組をやっていたとき、子ども役の中学生の女の子をある医療系国際NGOの子ども特派員として、タイの難民キャンプに派遣するというのがあって。その子が戻ってきて番組で報告するという。まずはそれがきっかけですね。
2005年にNHKを退職してフリーランスになったとき、中東問題に関心があるものですから、中東をしばしば訪れました。特にヨルダンのパレスチナ難民キャンプを取材するようになり、そのうちあちこちの難民支援の現場を取材するようになりました。
自立を助けるのが真の援助なのではないか
―― 現場でUNHCRの援助活動をご覧になりましたか?どのようなことが印象に残りましたか?
2013年にヨルダンのザータリ難民キャンプを取材したときですよね。ザータリ難民キャンプって一番中心のところに難民の人たちが外からいろんな食材を手に入れてお店を開いてるんですね。そこは「シャンゼリゼ通り」と呼ばれていて、その先が「5番街」と呼ばれていて。
びっくりしたのは、難民キャンプのシリア難民の人たちが難民キャンプの外の人と連絡を取って様々な食材をごっそり難民キャンプに持ち込むわけですね。鶏肉だとか野菜だとか。
で、難民キャンプにUNHCRが設置した街灯がありますよね。その電線からシリア難民の人達が線をひいて、その電力を使ってチキンの丸焼きとかいろんな料理を作ってお店を開いて売ってたんですね。
僕はびっくりして、取材に同行していた難民キャンプを統括するUNHCRの人に「こんなこと許していいんですか?」と訊いたんです。
するとそのUNHCRの人が「難民はいずれまた祖国に帰っていきます。自分のことは自分でやれる力は大切。
シリアの人は伝統的に商売上手ですぐ商売をやろうとします。難民になっても助けてもらう立場を良しとしなくて、自分で稼ごうとするんです」と言うんですよ。UNHCRが容認していることにびっくりしたんです。
支援というのは困っている人を助けるんだ、だけどあんまり勝手なことをやってもらったら困る、というものかと思ってたらそうじゃなかった。どんどん自主的にいろんなことをする方が良いのだと。それはまさに目からウロコでした。
日本にいるとなんとなく「難民はかわいそう、難民キャンプで助けてあげましょう」という感覚がありますよね。でもそれってどこか「上から目線」なんですよ。
人間にはやっぱりプライドがあります。難民の中には祖国においては自立した生活をしていた人達が大勢いるはずですよね。それが残念なことに難民にならざるを得ない。人に助けてもらわざるを得ない。でもそれは内心忸怩たる思いがある。
難民キャンプにいる難民をひとりの自立した人間として自活できるように寄り添って支えていく。それこそが難民に対するリスペクトだと思うんです。
難民キャンプで出会ったUNHCRの人の言葉で、自立することを助けるのが真の援助なのではないかと気づいたのです。
つい難民にドラマを期待しちゃうけれど
今みんなスマホ持ってるんですよ
―― 実際に難民と直接お会いになった中で特に印象に残っているのは、どのような方のどんな暮らしでしょうか。
2012年にザータリ難民キャンプにテレビの取材で最初に行った時ですよね。その時にシリア難民の男性にテントの中で話を聞いていたら「シリアから出るときに妻と別れて離ればなれになってしまった。それがこの難民キャンプで会うことができたんだ」って言うんです。
やっぱりついついテレビの人間としては、イイ話だと思う訳ですよ(笑)。で「どうやってここで出会うことができたんですか?」って聞いたら「携帯で連絡取り合いました」って。ぜんぜんドラマじゃない。
私たちはついドラマを期待しちゃうけれど、今は難民もみんなスマホ持ってるんですよ。
例えばこれもテレビのロケでヨーロッパの難民を取材したときなんですが、アフガン難民がセルビアからハンガリー、オーストリアを経てドイツに行こうとしたら、途中ハンガリーでは難民が入ってこられないように、壁が作られていた。国境が封鎖されてたわけですよね。
この時に、セルビアからハンガリーに入れなかった避難民がセルビアの難民キャンプにいて、その人たちに「ここまでどうやって来たの?」って聞いたら「ちょっとこれを見てくれ」ってスマホを取り出したんですね。
動画を撮ってるんですよ。延々と自分たちが歩いてきたところを。橋が無い小川とか、急流を渡るところとか、全部動画撮ってるんです。
スマホでいろんな情報収集をするだけじゃなく、自分たちが歩いてきたところを動画で記録を取っているんだと。これも本当にびっくりしましたよね。つまり難民もスマホを駆使しているんだよと。私たちと全く変わらない、ということですよね。
さっきお話した難民キャンプで奥さんと再会したシリア難民の男性の話に戻りますと、「これがシリアの俺の家なんだ」って写真を見せてくれたんですよ。見たらもう、日本だったら豪邸ですよ。シリアって実はヨルダンより生活水準高いんですね。
つまり難民ていうと貧しい人が来てるというイメージを少し持っていたけど違ったんです。高学歴でかなり所得水準が高い人も戦乱の中で仕方なしに逃げてきたって人達がたくさんいるんです。
だからそういう新たな気づきっていうのもありますよね。つい日本で見ていると難民ていうのは貧しい人たち、かわいそうな人たちと思う人もいるかもしれない。もちろんそういう人たちはいるんだけど、そういう人たちだけじゃなくて、むしろ普通の人が逃げざるを得なくなっているんです。
難民もスマホで情報収集してると知ると
我々と同じなんだと関心を持ってもらえるんじゃないか
―― 日本では「難民問題は遠い場所の問題で実感が湧かない」という声も聞きますが、難民支援がどうして大切なのか、池上さんはどのように伝えてこられたのでしょうか。
「週刊こどもニュース」の頃からよく小学生から「日本はお金が無くて借金してるんでしょ。お金が無いのになんで海外に援助するんですか?」って訊かれたんです。
そのとき私はこう答えたんですよ。「実は日本は第2次世界大戦が終わった後、本当に貧しくなってしまって多くの人が食べるものがなくて餓死しそうな状態だった。そのときに国連が支援をしてくれた。アメリカの支援もありましたけど、特に国連の支援によって学校給食ができた、この時の学校給食でなんとか栄養補給をする子どもたちがいたんだ。おかげでその人たちは生き延びることが出来て、その人たちがやがて大人になり結婚して子どもが生まれ、その子どもが成長して君たちが生まれたんだよ」と。
つまり「君たちのおじいさんやおばあさんが海外からの援助で命拾いした結果、今の君が存在しているんだ、だったら日本が豊かになったんだから今度はそれをどこかに恩返しする必要があるんじゃないの?」というようなことを言ってきました。
―― 視聴者に難民問題をわかりやすく伝え、興味を持ってもらうために工夫していることは何でしょうか。
それで言うと例えばスマホですよね。スマホで情報収集してるんだっていう話をすると「我々と同じじゃないか」と。「あっ、我々と同じことをやってる。同じような人なんだ、たまたま難民になっちゃってるけど」っていう形で関心を持ってもらえるんじゃないかなと思いますけどね。
―― 池上さんが難民問題や国際問題を調べる際に、必ず押さえるポイントは何でしょうか。
それはやはり「なぜその問題が起きたのか」ということですよね。
例えば東西冷戦中に発生した難民問題だとモザンビーク内戦とかアンゴラ内戦があげられますが、それらは東西冷戦の代理戦争でした。なので東西冷戦が終わったら解決して、モザンビークの難民もアンゴラの難民も、祖国に帰ることができたんですよ。
ところがシリア内戦あるいはリビアの内戦は、東西冷戦が終わった後に起きてきた問題なんですね。そこで、それぞれ「これはどうして起きたのか」っていうことを必ず歴史の流れの中で考えるようにするんです。
―― 池上さんは難民問題の情報をどうやって集めておられますか。
最初は新聞の国際面ですよね。我が家では新聞を12紙取っていて、毎日必ずチェックしています。
新聞でも全国紙はそれぞれの新聞社の記者が取材していますけど、地方紙は共同通信の記事を使っています。なので共同通信の記事を読むために地方紙も購読しています。いろんな新聞に目を通して、まずいろんな情報源で何が起きているのかっていうことを把握します。
そしてそこから先は、例えばニューヨークタイムズだとどう書いているんだろうかといって、今度はニューヨークタイムズの電子版をチェックするというふうにリサーチを進めていくということですよね。
或いは、例えば2020年夏にレバノンの港で大爆発事故がありましたでしょ。あの場合は国際機関のウェブサイトに写真とか詳しいものがでてたりするわけですよね。UNHCRも含めて様々な国際機関のウェブサイトをチェックすることによって、何が起きているのかを見るということもやっぱりやりますよね。それから国際NGOからの報告書やニュースレターにも目を通しています。
難民を支援したい気持ちと
日本の人にもっと難民のことを報せたい気持ち
―― どうしてUNHCRに寄付してくださっているのでしょうか。
UNHCRだけじゃなくて他の国連機関や医療系国際NGOにも寄付させていただいております。
UNHCRへの寄付については、まず辛い思いをしている難民を支援するということ。そしてもうひとつ、日本では特に若い人たちも含めて海外の問題・国際情勢とかそういうことに関心を持つ人が意外に少ないので、日本国内で難民問題についてみんなに伝えようとしている国連UNHCR協会の活動も大事だなと。その両方が大事なことだなと思って寄付しています。
顔が見える難民のストーリーがわかると
支援のし甲斐を感じる
―― ひとりの支援者としてUNHCRの援助活動についてどんな情報を知りたいと思われますか?
難民がいるんですよ、じゃなくて、たとえばどこそこに暮らしていた何とかさんは、という1人ひとりのストーリーが必要なんですよ。みんな難民が大変なんですよっていうのは一般論で知っている訳で。そうではなくて、見える形でちゃんと写真があって、この子がこんなことになっているんだけれどUNHCRの援助活動によってこういう風に良くなりましたって。大変です、大変ですだけじゃなくてね、顔が見える名前がわかる子がこうやって人生を自分の力で切り拓くことができるようになる、そのチャンスが支援によって得られたんだと。そうすると私たちは「支援していた甲斐があるなあ」と感じると思うんですよね。
UNHCRの難民援助活動は世界の「応急手当」
―― 今後のUNHCRの活動に期待することは何でしょうか。またUNHCRのどのような難民援助活動に注目していらっしゃいますか。
UNHCRの難民援助活動は、要するに世界の「応急手当」なんですよ。UNHCRが緊急事態に対応している間に、その国自身がかかっている病気を国連の他機関や国際NGOが治療することができる。今後もUNHCRの難民援助活動の重要性は高いと思いますよ。
「ウィズコロナ」でUNHCRは難民援助活動をどうしているのかということに注目しています。新型コロナウイルスは消えては無くならない中、難民キャンプは場所によって3密になるようなところがある訳で。感染症対策において非常に厳しいわけですね。
だからこの「ウィズコロナ」の状況でどうこれから感染症を防ぎながら援助活動を続けていけるのか。それがまさに持続可能な援助活動ということになりますよね。
―― 「難民問題には終わりがない。援助をやってもキリがない」というご意見をいただくことがあるのですが。
東西冷戦が終わったあと、難民の数は一時的に減っているんですよね。それがアラブの春※注以降また増えてしまった。でも過去に、それまでずっと地道にやってきた結果、難民が減ってきたという現実があるんです。
だからたまたまアラブの春以降、難民の数は増えていますが、ずっと継続的に取り組むことによって少しでも減らすことは可能になると思っています。
※注:アラブの春…2011年から中東地域に広がった一連の民主化運動のこと
伝えたことで知った人が変わる
少しでも人の為になれば
―― 池上さんは今まで80を超える国と地域で取材を続けてこられましたが、状況が落ち着いたらまた難民問題を現地取材したいと思われますか?
それはやっぱりね。現場を見ないとわかりませんから。
今、難民問題として関心を持っているのは、ひとつはシリア難民の情勢。新型コロナがあったために取材に行けなくなっちゃってる。海外の様々なメディアの人達も国際間の移動ができなくなっちゃって情報が限られてますよね。全体として何が起きているのか知りたいです。
もうひとつはヨーロッパに入ってくる難民もこれも新型コロナ対策で難民を追い返したり、受け入れようとしないとか、あちこちに壁が作られている。結果的に逃げられなくなった難民は今どうしているんだろうと。非常に気になります。
―― 膨大な労力とエネルギーを「伝え続ける」ことに注ぎ続けておられますが、そのモチベーションはどこから来ているのでしょうか。
小学生の頃から、誰だってクラスメートが知らないような話を知ったら、「ねえ、みんな知ってる?知ってる?」って言いますでしょう?それが今でも変わらないんですよ。
知りたいという好奇心と、それをみんなに伝えたいという欲求と、それが結果的に世の為人の為になっているというその3つですね。
テレビでニュースあるいは現代史を解説すると、結果的にもっと知りたくなる人達が出てくるわけですね。番組を見てもっと知りたくなって「新聞を読むようになりました」とか「本を読むようになりました」という話を聞くようになるんです。私が本当に望んでるのはそれですね。私の番組を見た人がみんなそうなる訳じゃないですけど、それ以上知りたいと思う人が一定数必ずいる。それがやりがいにつながってると思います。
海外に行くと支援の現場にいる日本の人に「『週刊こどもニュース』を見て海外に関心を持つようになりました」と言われることがよくあるんです。これ嬉しいですよね。そのたびごとに「あなたの人生を変えてしまってごめんなさい」って言ってるんですけど。自分が情報を伝えることで、なんらかの国際的な活動、支援につながっていくのだと嬉しいですね。
難民キャンプに行ったら、予想に反して実はこんなことがあったんだって言うとみんなが「へえ」って言ってくれる。そして知った人が変わる。それが面白い。それが結果的に「じゃあ難民を支援しよう」って形にもなるし。少しでも世の為人の為になっていたら良いなあと思っています。
(2021年10月25日・オンライン取材にて/聞き手・構成:国連UNHCR協会)