UNHCR設立70周年記念企画 難民支援の現場に眼鏡を届けて38年~企業による難民支援のありかたとは 日本人初のナンセン賞受賞者 富士メガネ金井昭雄会長に聞く~【前編】
1984年から38年にわたり、難民支援の現場で視力検査を実施し、難民一人ひとりに合った眼鏡を届けるという活動を続けている日本企業があることをご存じでしょうか。その功績により、難民支援のノーベル賞とも呼ばれる「ナンセン難民賞※」を日本で初めて、そして企業人としてもはじめて受賞した、富士メガネ会長の金井昭雄さん。UNHCR設立70周年と長年にわたるパートナーシップを記念して、国連UNHCR協会 報道ディレクターの長野智子が特別インタビューを行いました。前後編にわけてお届けします。
公開日 : 2021-06-21
※ナンセン難民賞についてはこちら
【金井昭雄(かない あきお) プロフィール】
株式会社 富士メガネ会長・社長兼任。1942年、樺太・豊原市生まれ。66年、早稲田大学商学部卒業。72年、サザン・カリフォルニア・カレッジ・オブ・オプトメトリー(SCCO)卒業。カリフォルニア州オプトメトリー営業ライセンス取得、アルタディナ市で実務に就く。73年に帰国し、富士メガネ入社。96年、社長に就任。現会長。83年、海外で難民の視力を検査して各自に適した眼鏡を寄贈する活動を開始。タイ・インドシナ難民、ネパール・ブータン難民、アルメニア、アゼルバイジャンなどで実施し、通算174,446組を寄贈。2006年、難民や国内避難民への視力支援活動の功績が認められ、日本人で初めて、企業経営者としても初の「ナンセン難民賞」を受賞。
■コロナ禍の支援 難民のことを忘れていないという発信が重要
長野:ご無沙汰しております。一昨年より国連UNHCR協会の報道ディレクターを務めております長野です。本日はよろしくお願いいたします。金井さんとUNHCRとの関わりは1984年から。2019年までに赴かれたUNHCRの支援現場での視力支援活動は36回を数え、まさに難民支援活動の大先輩でいらっしゃいます。本日は金井さんの活動の原点となったご体験から、視力支援活動のこと、企業経営者としての理念、そして未来にむけたビジョンまで、たくさんお聞きしたいことがあります。
その前にまず初めに、昨年から世界を一変させた新型コロナウイルスの影響について伺います。とくに金井さんが38年続けておられる視力支援活動にはどのような影響があり、どのようなご判断をされたのでしょうか。
金井:コロナ感染がこんなに拡大するとは予想外でした。我々はこの10年以上アゼルバイジャンを訪問していますが、現地も混乱していて、今の時期、直接訪問するのは非常に難しい状況です。今年はその代わり、メガネ約3500組と一緒に白内障の手術後に移植する眼内レンズや補聴器を数十組送っていますが、難民一人ひとりの方と直接お会いすることができない状況は、本当に残念に思っています。
長野:金井さんはかねてから、現地にメガネを送るだけではではなく、現地に行き視力検査を実施して、一人ひとりの視力を合わせることで十分な視力補正サービスになるとおっしゃっています。コロナ禍でも大きな支援をされていますが、やはりもどかしいところがおありなのではないでしょうか。
金井:そうですね。やはりどんな状況におかれても、我々のできることを継続してやって行きたいと思っています。難民のことは忘れていないというメッセージを発信し続ける必要があります。
■終着点のない難民支援から得られる心の豊かさ
長野:視力支援活動では、一人ひとりの難民への視力検査から始まり、メガネの送付、視力矯正まで、全社で1年間かけて準備をして、現地では多い時は1日500人も検査をされているそうですね。本当に頭が下がる思いですが、改めて、なぜそこまでできるのでしょうか。
金井:我々の活動の最も核心に触れる質問です。私は活動を始めて以来、人生の半分近くあるいはそれ以上を、難民支援のことを考えながら過ごしてきました。現地訪問を通じて我々が行っているメガネの提供による難民の視力改善活動の目的は、難民の方の自立や生活の向上、あるいは学習の機会を広げることです。
現地に行くと実際どのように役立っているかを自分の目で確かめることができ、回を重ねる毎にこの活動の奥深さや重要性を実感するようになりました。活動の継続こそが大事で、自分自身への挑戦、と思って今まで実施してきましたし、今後も続けたいと考えています。難民支援活動にはいわゆる終着点のようなものはありません。一方で現場に行って活動すると、心が洗われたり、高めてくれる、そんな力がこの活動にはあります。参加した社員たちの心が豊かになって帰国するのを感じるとともに、この活動が我々にとっても非常に大事なんだという思いで継続してきました。
■オプトメトリストとしての使命感
長野:日本では難民問題と言うと少し遠く感じる方も多いと思いますが、何がきっかけで金井さんは難民支援を始められたのでしょうか?
金井:直接的には1980年代初頭にラオス・カンボジア・ベトナムなどインドシナ三国の内戦で大量の難民がタイへ流入したことがきっかけです。タイ政府は彼らを保護し、第三国定住するという条件で入国を認めました。難民キャンプ内では第三国定住への準備や教育を行っていましたが、難民の方達がメガネを破損したり無くしたりして、生活に支障をきたしているから視力の補正をしてもらいたいという声が我々に届きました。
私は自分がオプトメトリスト(後出)として、いつかは難民キャンプに行かなくてはいけないだろうと思っていましたし、ちょうど弊社の創業45周年にあたり、何か社会性のある活動をしてみたいと考えていたので、タイに行って難民の方に直接サービスをしてみようと決断しました。
長野:今、オプトメトリストとご自身のことをおっしゃいましたが、日本語に訳すと検眼医ということでしょうか。
金井:オプトメトリストの主な仕事は視力の補正と保護で、そのベースは検眼です。機能面の分析と眼固有の疾患、最近ですと生活習慣病や血液、血管の障害と関連した視力障害などが多いですが、目的別に検査して必要な処置をします。これがオプトメトリストの仕事です。
長野:オプトメトリストになったきっかけやオプトメトリストとして難民支援を行っている理由を教えていただけますか?
金井:日本の大学を卒業するとき、父から米国でオプトメトリストの資格を取得してくるよう勧められました。その留学時代にアリゾナ州のホピ族という先住民の集落で視力のスクリーニングを行い、メガネを差し上げるプロジェクトに招かれた経験が後の難民支援へとつながりました。
長野:ホピ族ボランティア体験で金井さんの一番印象に残っているエピソードはなんでしょうか。
金井:ホピ族とは、居留地に暮らす先住民で、いわゆる視力補正などのサービス面は十分ではなかったんです。同僚のクリニックに溜まっていた使い古しのメガネをかき集めて、一人ひとりの視力を検査し適切なメガネをその中から選んであげたところ、みなさんものすごく感謝してくれました。本当に感動しましたよ。居留地には専門家へのアクセスがあまりないので、我々の訪問を大変歓迎してくれ、眼に関するあらゆる相談を受けました。
長野:なるほど。米国でのご経験が、金井さんの人生、考え方、あるいは企業経営者としての金井さんに与えた影響は、やはり大きかったのでしょうか
金井:はい。もし米国でオプトメトリーを学ばず、ホピ族の視力補正プロジェクトの経験もなかったら、難民の視力支援構想は思いつかなかったと思います。
■支援初期の苦労とUNHCRとの出会い
長野:活動を始められた当初は、かなりご苦労があったと思うのですが、いかがですか。
金井:1983年に始めたのですが、その頃の日本の社会には、いわゆる社会貢献的な活動はあまりありませんでした。企業が行うなんてなおさらです。当時はNGOのような組織もほとんどなく、我々が現地で必要な作業をするための情報も不十分な状況でしたが、とりあえず行ってみよう、行くことに意義がある、と自分に言い聞かせて行きました。
はじめてタイへ行った時は、例えばキャンプがどこにあって、どうやって入るかとか、あるいはどこで作業するかなど、全くわからないまま現地関係者の協力を得てステップバイステップで進めていました。そういう意味で全く教科書のない手作りの活動でしたね。
当時一番の問題だったのはメガネを持ち込むことでした。教会関係者の米国人が通関時に立ち会ってくれる予定でしたが、大雨の影響で来られなくなったのです。40万円くらいかかる関税を払って通関しようかとも思いましたが、バカバカしかったので、払わずに入国しました。もちろんメガネは保管倉庫の中に入ったままです。その後、3時間たってようやく教会関係者が現れましたが結局その日は、メガネは出せず終いでした。
長野:なるほど。
金井:キャンプに近い町で宿屋らしきところに行くと、家具屋の後ろに急遽作ったベッドだけが置いてあって、そこにスタッフみんなで泊まったりしました。何しろ水道というものがなく、食事する店もほとんどなく、電話もかけられないなど本当に苦労しました。特に困ったのは、やはりマラリアやコレラ、食中毒など衛生上の問題です。
長野:いやあ、すごい。米国での経験をお持ちだったにしても、過酷な状況の中で、まさに挑戦ですね。UNHCR とはどのあたりから関わってくるのでしょうか。
金井:タイで視力支援活動を始めた1983年には、UNHCR事務所があるということすら知りませんでした。キャンプ内で初めてUNHCRのメディカルコーディネーターの方とお会いし、現地で活動中のNGOの方々と引き合わせてくれたり、検査場の確保をしてくれたりと大変助けてもらいました。キャンプでの作業が終わった後、バンコクにあるUNHCR事務所へ報告に行きました。そして、後日、事務所の方がキャンプで我々が行った視力支援活動への反響を確かめてくれたのです。
担当者によると、この活動は本当にインパクトのある出来事で、みんな大喜びだったと。受け取ったメガネをすぐにかけてキャンプ内を歩いて回った人がいたりして、視力補正のサービスをしてくれるチームが日本から来たと瞬く間にキャンプ中の噂になったそうです。
長野:ご苦労の果てのUNHCRとの出会いだったのですね。
金井:UNHCRの方は、こんなにみんなが喜ぶなら、ぜひまた続けてもらいたいと思ってくれました。活動に必要な手配や手続きは全部UNHCR事務所でやりますと申し出てくれたのです。その翌年、早々に私がタイに行き問題点を彼らとすり合わせて、現地のパートナーとして一緒にやっていただけるか話し合いをしました。その結果、当時はなかったいわゆるUNHCRと民間との協力関係のプロトタイプというものが、その時生まれたのです。
金井:視力支援は、UNHCRの難民支援のメニューにはないと思いますが、ただ、生活をしている以上、やはり視覚情報は非常に重要であり、メガネは生活必需品となるので、国連機関から支援継続を依頼され、視力の重要性を認められたことは非常にうれしかったです。UNHCRにはその後、実施に関わるプロトコルや移動のためのロジスティックなどミッション全般に関わるパートナーとして、今日までよくしていただいています。
長野:通関もちゃんとできるようになって。
金井:うまく通るようになりました(笑)