モザンビークのカボ・デルガドで避難を強いられ、平和を願う人々
報道されることの少ないモザンビーク北部の紛争により数十万家族が避難を強いられ、食料、シェルター、そして安全を見出すために格闘し続けています
公開日 : 2024-03-06
ムウェダ、パルマ(モザンビーク)2024年3月1日 ― モザンビーク北部のカド・デルガド州では、毎日が生存競争です。過去7年間、人々は暴力攻撃に耐え、愛する人々を殺され、切り裂かれ、レイプされ、そして家々や職場が焼け尽くされるのを目撃したのです。男性や少年は非政府武装グループ(NSAGs)に強制的に徴兵されます。少女や女性は誘拐され、性奴隷として利用されます。生活基盤は破壊され、食料、医療、教育といった基本的なニーズへのアクセスは断たれています。
モザンビーク北部では、2017年以降、NSAGsによって市民や政府軍への攻撃が繰り返され、2024年1月時点で58万2000人以上が避難を余儀なくされていました。2021年と2022年、紛争が最も激しかった時には、100万人以上が避難を強いられました。何度も命がけで逃れることを余儀なくされ、心に傷を負っている人も多数います。
暴力行為により度重なる避難を強いられる人々
アゴスティーノさん(56歳)もその一人です。彼はカド・デルガドにある地区のひとつであるモシンボア・ダ・プライアという村から、5年の間に3回家を追われました。2019年、最初の攻撃で彼の甥は惨殺されました。「反乱軍は彼の首をはね、切り刻みました。彼は22歳でした。私たちはとても仲が良く、彼は私にとって息子のような存在でした」とアゴスティーノさんはささやきます。
反乱軍が2020年にモシンボア・ダ・プライアに2度目の攻撃を仕掛けたとき、彼は食料もなく3日間身を隠しました。4日目、彼は何とか逃れ、より安全な近隣にたどり着きました。「途中、家々が破壊され、自動車が焼かれ、たくさんの死体が道に横たわっているのを目撃しました…首をはねられている人がいるのも目にしました。」やがて彼は、別々の方向に逃げていた妻と8人の子どもたちに再会しました。
2022年、反乱軍が3度目の攻撃を実施し、彼の家を焼き払った時、アゴスティーノさんは家族と一緒に数日間茂みに隠れ、隣のムウェダ地区にあるリアンダ居住地まで歩くことにしました。この居住地は、避難を強いられた人々にシェルターと援助を提供するために、2021年11月に開設されました。現在、このサイトでは約1万人が受け入れられており、モザンビーク当局とUNHCR、パートナー諸団体によって管理されています。
アゴスティーノさんと家族にとって、居住地での生活は困難なものでした。「私たちには洋服が1組ずつしかありません。逃れて来た時に着ていたものです」と彼は語ります。「最終的にマットを受け取るまで、数か月間は直接床の上で寝て、夜にはたくさんの虫にさらされました。私たちにはもっと食料が必要です。ここには耕す土地がなく、私にはつらいです。農夫なので、私は粟と米を栽培し、家族を養うことができていました。」
厳しい援助資金不足が続くモザンビーク
UNHCRはパートナー団体と共に、命を守る援助を提供しています。リアンダ国内避難民サイトに到着した避難家族は、UNHCR、そして緊密に連携する地元当局から援助を受け、非食料物資(NFI)、食料、水、シェルター、心理社会的サポートを提供されています。しかし、これらは直近のニーズです。国内避難民に長期的な援助を提供することは、カボ・デルガドのほとんどの国内避難民サイトと同様に過密状態となっているリアンダでも、大きな課題となっています。 UNHCRの活動資金は恒常的に不足しています。2024年、モザンビーク援助活動にUNHCRは4930万ドルを必要としていますが、現状17%しか充足されていません。 「私は避難を強いられた人々のニーズを調査するために、カボ・デルガドの国内避難民サイトを数十か所訪ねました。基本的な人道支援を受けているのは、そのうちの30%から40%にすぎないと言えるでしょう」とエドナー・ムテシUNHCRペンバ事務所シェルター担当官は言います。「これらのサイトでは、シェルター、清潔な水、衛生設備へのアクセスが悪く、生活環境が限界に達していることが頻繁にあります。」
攻撃から逃れてカボ・デルガドの国内避難民サイトに到着する人々が後を絶たず、資金不足はさらに深刻化しています。2023年12月末以降、NSAGsによる攻撃によって8000人以上がこの州にあるマコミア、メクフィ、メツゲ、モシンボア・ダ・プライア、ムダンベ、キサンガ地区で新たに避難を強いられました。2024年2月最終週だけで、カボ・デルガドのチウレ地区で発生した攻撃により、3万3000人以上がナンプラ州エラティ地区に避難。また、チウレ地区では約2万3000人が新たに避難を強いられています。ムエダ地区の国内避難民サイトにも、NSAGsの攻撃から逃れ、定期的に人々が到着し続けています。
「ムエダや周辺地区の村々が攻撃されるたびに、人々が安全を求めてリアンダに逃れ、たどり着きます」とムエシ職員は説明します。「新たに到着した人々が泊まる場所を見つけ、新たなシェルターを建てるための物資を手に入れることがUNHCRの最優先事項です。」
UNHCRのシェルター支援
2021年以来、UNHCRとパートナー団体のソリダリテ・インターナショナルは竹や木の柱、茅葺きやビニールシートを屋根に使い、泥にセメントを混ぜた素材を使って、国内避難民のためにシェルター915戸を建てました。2024年にはシェルター100戸を追加で完成させる予定です。国内避難民のコミュニティが建設に協力していますが、現状リアンダでは約1800世帯がシェルターを必要としています。彼らは今、風や雨、暑さ、虫にさらされながら、一時滞在センターや仮設の建物に滞在しています。
情勢が不安定なカボ・デルガドでは、誰もが暴力から免れられません。避難して来るすべての人々に、語るべき劇的なストーリーがあります。ムエダ地区のントリ村が攻撃され、兄が殺された後、エドゥアテ・クリスチアノ・トゥンバティさん(38歳)は妻と3人の子どもたちと共に故郷を逃れました。「2年前、反乱軍が現れた時、兄夫婦はキャッサバ畑にいました」と彼は回想します。「彼らは兄を縛りあげ、座らせました。彼らは食事を作り、食べた後、これから何を彼にするかを見ていろと、妻に言いました。彼らは兄の首をはね、妻に姿を消すよう言ったのです。彼女は家に逃げ帰り、何が起こったかを私たちに話しました。」
エドゥアテさんの義理姉が家に駆けつけて何が起こったかを話すと、一家は着の身着のまま、わずかな台所用品を持ってその場から立ち去る決意をしました。「リアンダに着くまで5時間歩きました。今日現在、私たちは村に帰っていませんし、兄の埋葬もしていません」とエドゥアテさんは言います。
帰還後も続く苦難
2021年7月にモザンビーク軍と連合軍がNSAGsに対して軍事介入して以来、カボ・デルガド州、ニアッサ州、ナンプラ州で約63万2400人が故郷に帰還しました。避難先での極めて困難な生活環境のため、多くの人は選択の余地がほとんどないと感じていましたが、不安定な状況が続き、仕事や医療施設へのアクセスが制限され、帰還先の地域における人道支援の存在も限られているため、一部の帰還民は避難サイトへ戻らざるを得ませんでした。
アミナ・アスアデさん(50歳)は、2021年3月24日にパルマの町が攻撃された時、避難を強いられました。彼女は、夫、両親、兄弟を攻撃で失ったにもかかわらず、モザンビーク軍と連合軍が市街地を安定化させた後、帰還する決心を最近しました。「苦しみもありますが、それでもパルマに戻ることに決めました。避難先の苦しみと、故郷での苦しみ、私は後者を選びます。しかし、未亡人としてもう一度やり直すのは大変です。」
彼女の家はまだ立っていますが、売るためのアイスクリームや冷たい飲み物を保存していた冷蔵庫や冷凍庫を含め、すべての所有物が盗まれました。「多くを失ったので、未来を想像するのは難しいです」と彼女は言います。「何も残っていないので、今のところ、家族や友人から食料をもらっています。」モザンビーク軍と連合軍によって安全が確保されたため、パルマの住民12万1000人のうちの多くは今、街に戻っています。
避難を余儀なくされている人々の多くは、今も心に傷を負い、絶え間ない不安の中で暮らしています。「全然よく眠れません。自分が目にしたものについて考え続けています。私たちはあまりにも多くの恐ろしいことを目撃しました」とアゴスティーノさんは語ります。「私は3回家を追われました。もう耐えられません。安全でさえあれば、自分の村に戻ってもいいと思っています。私はただ、人々が平和に暮らしてほしいのです。」
Hélène Caux
原文はこちら(英文)
Displaced people in Mozambique's Cabo Delgado plead for peace
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